《銀行→再生エネ》山上風力発電で地方活性化を
【ダミー】過疎に悩む岩手県の山村の役に立ちたい。山野さんを奮い立たせた恩師の言葉
【ダミー】岩手県出身の山野村子さんは高校卒業後、東京の大学に進学してからずっと東京で暮らしてきました。大手都市銀行で広報を担当する山野さんは、卒業以来20年ぶりに出席した同窓会で高校時代の恩師から渡された当時の自分が書いた作文を読んで、地元へ戻ることを決断します。
~作文には何と書かれていたんですか?~
山野(以下略):「私は大人になったら地元の自然を守る仕事をしたい」という内容でした。
私は岩手県の寒村の出身で、幼い頃からお転婆で野原を走り回っているような子供だったんです。トカゲやヘビも平気。本当にやんちゃな娘でした。もちろん、次第に大人しく、女らしく(笑)なっていったんですけど。
高校時代には書道部に入り、その時の部活の顧問で国語教務でもあった能勢先生から指導を受けたんですが、先生の方針で、ただ書を書くだけでなく、書いた作品を地元の公民館や飲食店に飾ってもらうことまでが部活の活動内容になっていました。
なので、高校時代は地域の人々の輪に入り、地元のお祭りの手伝いをしたりもしました。
そんな地元の自然を愛し、地元の人々との触れ合いを享受してきた私なのですが、大学進学で東京に行き、そのまま東京で長年暮らす中で、最近は地元に帰ることすらなくなっていました。私が大学を卒業したころに祖父母が亡くなり、それを期に田畑を売り払って家族も東京に引っ越してきたので。
数年前、20年ぶりに高校の同窓会が東京で開かれ、久々に能勢先生にお目にかかったんです。その時に、昔授業で提出した「大人になったらどんな仕事がしたいか?」というお題の作文がたまたま見つかったよ、と、渡してくださったんです。
とはいえ、実は正直、すでに都会の生活に慣れきっていましたし、もはや野原を走り回る体力も気力もないですし(笑)、作文で書いたような気持ちや情熱はとっくに失っていたんです。
同窓会では旧友や恩師との久々の再会でいつも以上にお酒が入っていたこともあり、結構酔っぱらってしまって。金融業界を取り巻く厳しい現状や私も含む組織内の人たちの鬱屈した気持ちを、ちょっと愚痴っぽく喋り続けていたんですね。
それを聞いた能勢先生が、一言「勿体ないなあ」とつぶやくようにおっしゃって。それを聞いて、何かハッとしたんです。
自分は現状に不満を言うだけで、前向きに何かを取り組んでいない。何の努力もしていないことに気づかされたんです。
そんな頃に会社で副業が解禁され、またコロナ過もあってリモートワークが定着することになります。私の仕事は広報なのですが、今はほとんどリモートで仕事ができます。
で、郷里に戻って銀行の広報の仕事はリモートで行い、残りの時間を地元で働けないか、という可能性を考えるようになりました。
~そこで見つけたのが、現在の山上風力発電の会社ですね。ここはどういう経緯で?~
私の銀行の人事部には社員の副業支援のチームが有って、うちがメインバンクの地元企業の紹介を行っています。
私の郷里の山に数年前から風力発電の巨大風車が建設されていることは知っていましたが、この運営会社が、ちょうどそのリストに有ったんです。
面接の結果、もし地元に戻れるならPR担当役員の席が用意できる、というお話をいただき、それで、今度は銀行と話し合いを行いました。結構時間がかかって、半年以上かかりました。
岩手と東京の頻繁な異動は必要なく業務上の支障もなさそうだし、特に利益相反もない、ということで、最終的に長距離リモート勤務と副業の許可が下りました。
今は郷里の過疎の村の休眠家屋を借り、田舎暮らしをしながら銀行と風力会社の仕事をしています。
~単身地方で暮らしての二足のわらじは大変だと思います。何かリラックス方法などは?~
東京の家から連れてきた相棒の犬と戯れることですかね(笑)。
この子も田舎で暮らしで日々たくましくなっていて、今ではトカゲもヘビもへっちゃらです。
(このインタビュー文章は創作したダミー文章であり、写真素材はすべてWIX無料素材からの借用です)
先輩の場合は・・・
30
決めてから実行までにかかった期間(月)
50
決めるまでに相談した人数(人)
200
実行後の満足度(%)